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2016.02.02
Interview

「ベンチャー企業にいる感覚」 ― 澤永遼監督退任インタビュー

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 サッカークラブにおける「監督」。監督は、孤独だ。誰よりもチームのことを熟知し、試合に向けて準備し、そして自身の選んだ最適なイレブンをピッチへ送り出す。責任は他の誰も取ってくれない。勝利へのプレッシャーが判断力を鈍らせる。その決断を下すには度胸が必要だ。

 昨シーズンまで監督のいなかったシティ。そんなシティで今シーズンから初代監督を務め、東京都リーグ4部の優勝に導いた人物こそが、澤永遼監督であった。しかしながら、本業であるフレスコボールの仕事に専念するため、彼は今シーズン限りで退任する。

 選手として1年間。監督として1年間。シティで過ごした2年間で、澤永遼は何を感じていたのだろうか。そして今、何を思うのだろうか――。



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澤永遼(さわながりょう)。通称”リョウ”。1990年5月3日生まれ、165cm/58kg。地元富山でプレーしたのち、大学進学に合わせて上京。ブラジル留学を経て2014シーズンからTOKYO CITY F.C.に加入すると、マルチロールをこなせるスーパーサブとしてチームの二冠に貢献した。2015シーズンから監督に就任し、チームを東京都リーグ4部優勝に導く。


■「第3のCityに。」というコンセプトに惹かれて

――澤永監督のサッカー経歴を教えてください。

 中学・高校は地元である富山の新庄JHFC、不二越工業高校サッカー部でプレーしてきました。その後、ブランクを経てTOKYO CITY F.C.に加入し、2014シーズンは選手としてプレー、2015シーズンは監督としてチームを指揮しました。

――シティにはどんなきっかけで加入したのでしょうか。

 クラブの創設者と元々友人で、コンセプトが面白かったので加入を決めました。

――具体的にコンセプトのどういった部分に惹かれましたか。

 「第3のCityに」 という部分です。東京は世界で見ても極めて人口が多い地域であるにも関わらず、Tokyoを象徴するサッカークラブは現状無いように感じます。若者が、カッコよく楽しめる場という点は個人的にはこのクラブはぴったりだと思います。


■組織としての一体感が出てきた

――シティに入った当初のチームの印象はどうでしたか。

 入った当初の2014シーズンは、良くも悪くもチームというよりも個人がごった返しで集まっている集団のようでした(笑)。しかし、ごった返しだったのはピッチの上で、オフザピッチではまとまって活動出来ていたと思います。スポーツビジネスやビジネスを自身で回している人が多いので、このマネジメントは流石だと感じました。

――その頃と比べてチームはどのように変化しましたか?

 チームというか、クラブというか分からないですが、組織としての一体感がより一層出たなというのが今年(2015シーズン)の印象です。これも全ての選手とスタッフが「チームを良くしたい」という想いが昨年(2014シーズン)よりも強くなっているからだと感じています。

 例えば、去年は試合後に試合中のプレーについて、選手同士で議論するなんて姿はあまり見受けられませんでしたが、今年はそういったシーンが良く見られました。もちろん、去年は上手くいきすぎていたという部分もあったと思いますが(笑)。

――選手やスタッフが昨年よりも「チームを良くしたい」と思うようになったきっかけは何だったのでしょう。

 それは人それぞれだと思います。このままじゃ上を目指せないという危機を感じた、より良いコミュニティを形成したいなどといろんな要因があると思います。よりチームへのロイヤリティ、思い入れが強くなったからでは無いでしょうか。

――最も印象に残っている試合はどの試合でしょうか。

 2試合あって、今シーズンの東京都庁サッカー部戦とウィルセロナ戦です。都庁戦は、GKのマサ( #1大木将之 )が鬼神のごとく決定機を幾度も防ぎ、なんとか勝ち点3を獲得出来ました。ウィルセロナ戦は、2点ビハインドの中でカズキ( #11山内一樹 )のスーパーなロングシュートが決まり、相手がまだ勝っているにも関わらず焦りを感じていました。結果としてこの試合は引き分けへと持ち込み、最終節へ優勝の可能性も残すことが出来ました。これらの試合での経験が、今年のチームにとって大きな自信になったと思います。


■ベンチャー企業にいるような錯覚

――2年間過ごしたシティでの一番の思い出は何でしょうか。

 シティ初の胴上げ監督になれたことですね(笑)。この2年間で選手と監督としてそれぞれ一度ずつの優勝を成し遂げられた事、これ以上の思い出はありません。これも選手やクラブスタッフ、スポンサー各社、そしてサポーターのみなさんの力が合わさったからこそ成せた結果です。こんなに良い思い出を作らせて頂きありがとうございます!

――その2年間を振り返ってみてどのように感じますか。

 選手として1年、監督として1年をシティで過ごしましたが、あっという間でした。そして日々変化しているなと。

 デジタルマーケティング担当の作るクリエイティブ製作の数々、加入してくる選手、スタッフによる討議のレベルなどそれぞれが凄まじいレベルで高くなっています。

 この成長速度を見ていると、サッカークラブというよりベンチャー企業にいるような感覚がしますね。

――そんな澤永監督にとって、シティとはどんな存在でしょうか。

 一番刺激をもらえる仲間であり、コミュニティです。それぞれが本業を抱えているなかで、高い質でクラブスタッフや選手として活動している姿にとても意欲を感じます。自分としても、彼らの姿を見ていると負けられないなという気持ちに自然になりますね。


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■フィールドは日本だけではなく、世界

――今後の抱負を教えてください。

 大きく2つあります。

 1つ目には、選手や監督として関わらない中でもTOKYO CITY F.C.のコアにいるメンバー、そしてサポーターとしてクラブの発展を支えていく事。

 2つ目には、今普及をしているフレスコボールというスポーツをまずは日本国内へ、それからアジア、そして世界へと普及していきたいです。フレスコボールを普及していく中でスポーツクラブ設立したいと思っています。

 ゆくゆくはTOKYO CITY F.C.でフレスコボール部門の立ち上げ、または別でフレスコボールクラブを立ち上げてシティと統合を出来たらいいなと。勝手ながらにそんな構想立てています。

――来年も残る選手、入団を考えている選手へ伝えたいことはありますか。

 このクラブは「東京」ではなく、「Tokyo」を背負っているという意識ですね。

 この2年間で、海外代表チームとの国際親善試合やFacebookページでの”いいね!”も海外からのものもあります。海外の現地メディア(サイパンやインドネシア)、SNSを通じた海外からの入団申し込みなど、もはやフィールドは日本だけではありません、世界です。

 今は東京都リーグという舞台でサッカーを闘っているかもしれませんが、世界から見られているクラブです。その中で日本の最大都市、世界から見てもメガシティである「Tokyo」というものを背負っている以上、ここに誇りと責任感を持って世界へ向けてプレーして欲しいと思います。


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